歴史と自然巡りの旅 飛騨こくふ

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亀塚古墳

亀塚古墳は、現在の高山市立国府小学校グラウンド(国府町広瀬町字塚腰)にありました。この古墳は二段式の円墳で、その大きさは、幅が約61m90cm、高さが約7m88cmでした。飛騨での本格的な古墳づくりは、この亀塚古墳から始まり、出土遺物からおよそ西暦420年頃造られたと位置づけられます。

明治28年4月、国府尋常高等小学校を建てるため、亀塚古墳が一部取り壊されることになり、初めての発掘がおこなわれました。その結果、西側の石室から 鉄鎧(てつよろい)・鉄兜(てつかぶと)各1、鉄剣、鉄刀各数本、鉄鏃(てつぞく)およそ50本、北側の石室から 鉾(ほこ)1本、鉄刀1本出土しました。大正7年、運動場拡張工事のため、すべて取り壊されました。

 

亀塚古墳から出土した甲冑

兜、鎧の一式そろって出土するのは、東海地方では初めてで、全国的に2~3例しかない貴重なものです。鉄の成分を分析した結果、朝鮮半島で作られたものと推定されます。

現在は、こくふ交流センター(所在地:高山市国府町広瀬町880-1)のロビーに展示されています。 ※古墳から出土した甲冑は複数の人の手を経て、旧古川町教育委員会に持ち込まれ、保存処理が施されました。その後、関係者の熱心な働きかけと旧古川町側の厚意によって旧国府町へ譲渡され、合併後高山市において三重大学名誉教授八賀晋氏の指導を受け、甲冑の復元及び複製(レプリカ)の製作が行われました。

「亀塚古墳・甲冑の謎」PDFダウンロード

住所
高山市国府町広瀬町字塚腰