今村峠
今村峠は、そりゃだいじな道やったでなあ。八日町には、問屋があってな、越中のほうから来る荷物が受け継がれ、それが今村峠を越して高山に出たんじゃ。峠はどしま(牛を使って荷を運ぶ人)の牛やぼっかさ(荷を運ぶ人)の話声やらで、それはにぎやかなもんやった。
今村峠の辻にはそれは霊験あらたかな地蔵様がござるが、その地蔵様にゃこんな話もあるんじゃ。むかし、三川から今村に嫁に来とる人があってな。ちょうど一年めやったそうな。
今夜は秋餅の日ということで、嫁さんはうれしくて、うれしくてな、秋餅の次の日から洗濯にやってもらうといってな。十五日も二十日も実家に居られたんや。その嫁さんは、着物の縫い直しやら、つぎ物やら風呂敷に包んで、準備していたんやと。
次の朝早う、姑さまに重箱いっぱい餅をつめてもらい、こづかいをもらって、今村峠を登り始めたんやと。霧ごんだ山道を一人で登っていくと、落ち葉をふむ自分の足音だけがよう聞こえてさびしかった。
その時、峠の下のほうから「おーい、おーい待て」と太うておすがい(怖い)声がしたんやと。振り返ってみるとな、毛むじゃらな大男が裸みたいにして追っかけてくるんやと。嫁さんは、びっくりして死にものぐるいで「誰か来てーっ。助けてーっ」と力いっぱい叫んだんやと。すると、どこからかしらん「おーい。なにごとじゃっ」と力強い声が山中に響き渡ったんやと。大男は飛び上るほどびっくりして、一目散にどこかへ逃げて行ってしまったんやと。
どんね(どれほど)見まわしても誰もおらんので、嫁さんは不思議に思ったんやと。それで、ありがたかったと辻の松の木の近くの地蔵様にお参りしたら、扉が開いとって地蔵様の足が土で汚れとったんやと。嫁さんは、「ああ、さっきのありがたい声は地蔵様の声やったんやなあ」と今さらのように、お地蔵様に助けてもらったことをもったいないと思い、それからは毎月かならず、お参りするようになったんやと。
国府のむかし話より
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- 今村峠
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富山方面から船津(神岡町)、巣山、十三墓岐峠、今村峠、追分(上広瀬)を経て高山に至る越中東街道の重要な要所です。江戸時代以前から昭和初期まで人馬の往来がありました。富山でとれたぶりが、この街道から高山の魚屋に入り塩漬けにされ、信州に運ばれ「飛騨ぶり」と呼ばれました。