歴史と自然巡りの旅 飛騨こくふ

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子安観音

宮地に「子安観音」とよばれて、古くから村の衆が大切にしとるお堂があるんや。その観音様が、いつごろ宮地にござったかというとな、昔々京に都があったころのことじゃったそうな。

そのころ、多好方(オオノヨシカタ)という楽の名人がござった。ある時、鎌倉の将軍様に招かれて、鶴岡八幡宮でそりゃ見事な楽を奏じられたそうや。そのうえ、好方(ヨシカタ)は、将軍様の家来たちに宮処秘曲(ミヤドコロヒキョク)も教えたりされたもんやで、将軍様はたいそう喜ばれて、ほうびに好方を荒城郷の地頭になされたんやと。

 

京へ戻った好方が、そのことを天皇に申し上げると、天皇はずっと昔に中国から伝わって以来、大切にしてござった一体の観音様を好方に別れの形見として下されたんやと。その観音様は、優しいお顔をして、膝に子どもを抱いてござってな、そりゃ尊いお姿やったそうな。

好方は、その観音様を大切にお守りしながら、遠い道のりを京から荒城郷へと旅をしてござったそうな。いろんな苦労をしながら、やっとで宮地に着かれた好方は、早速荒城神社の境内にお堂を建てて、観音様をおまつりになった。村の衆はもちろん、遠くの村々からも、ぎょうさんお参りする人があったってこっちゃ。

 

その後、高山の殿様がこの観音様を大事にしらしゃってな、国中の安産とか、家が栄えるようにと、お願いされたそうや。それからずっと後のことじゃが、えらい学者がござって、そこの家には三人の女の子が生まれたんやけど、二人までも小さいうちに亡くなってしまったんやと。

そんな時、夢のお告げがあってな、宮地の観音様にお参りされたんやと。そしたら、元気な男の子が生まれたんやと。学者はたいそう喜ばれて、そのお礼にと、りっぱな「観音経」を金で書いて観音様にあげらしゃったってこっちゃ。

それからずっと、人々は観音様を大切に守っておるんや。

国府のむかし話より

  • 観好寺 子安観音

    建久五年(1194年)に創建され、「宮地の観音様」と親しまれています。飛騨地方で数少ない、安産・子宝の神様として、祈願に訪れる人が絶えません。かつては、荒城神社境内に子守社として祀られていました。

    • 住所:高山市国府町宮地793-1
    • 電話番号:0577-72-2101

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